2008年12月22日

キリスト教で、よく人のことを「迷える子羊」というように、羊にたとえるのはなぜ?

くよくよと悩んでいる人や、あれこれと迷って先に進めなくなっている人のことを「迷える子羊」なんて言いますよね。これは、聖書の中で、イエスが普通の人たちのことを「羊」に喩えて話したことに由来しています。イエスは、人々を「羊」、自分を「羊飼い」に喩えて話をされました。
では、なぜ人が「羊」に喩えられているのでしょうか。ある牧師が、ニュージーランドで羊を飼っている人から聞いたという話ですが、実は羊という動物は、家畜としては致命的な3つの弱点を持っているそうです。

(1)目が悪い(近視)。
 遠くが見えないということは、草食動物の弱点になります。遠くから狙っているオオカミなどの的を見付けられないからです。
(2)草を根こそぎ食べてしまう。
 牛は根本を少し残して食べるのに対して、羊は根こそぎ食べきってしまうため、羊が食べた後は砂漠のようになってしまいます。そして、周囲に食べる草がなくなった羊は、飢えて倒れてしまうというのです。
(3)逃げ足が遅い。
 肉食動物から狙われる運命にありながら、羊は逃げ足が遅いのです。自分の身を守るようなキバも持っていません。外敵に対してとても弱い存在ということになります。

この3つの弱点は、そのまま人間の霊的な弱点にあてはまる、といいます。
人間は…
(1)この先どうなるのか? と悩みますが、自力では、人生の遠く先まで見通す力がありません。
(2)欲望をコントロールすることが難しい。食欲、性欲、物欲、金銭欲、権力欲…。いろいろなものを欲しがって、かえって自分が束縛される結果となります。
(3)霊的な攻撃に弱い。
 誘惑や、悪魔のささやきに抵抗したり、自分の身を守ったりするような武器を持っていません。

そんな中で、一つだけ羊には長所がある、ということです。それは「耳が良い」ということ。
イエスは、聖書の中でこう言っています。
「よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。門からはいる者は、羊の羊飼いである。門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。ヨハネによる福音書10:1〜5

羊が羊飼いの声を聞き分けられるように、人は、神の声を聞くことができるのです。

迷える子羊に必要なのは、羊飼い。あなたは、どうですか。
posted by 飛田カオル at 23:29| Comment(4) | TrackBack(0) | 聖書
この記事へのコメント
飛田さん、メリークリスマス!

クリスマスにふさわしいメッセージ、ありがとうございます。

クリスマスイブの今日、多くの方が「迷える子羊」から「主に飼われる幸せな子羊」になることを願ってやみません。
Posted by 紫式部 at 2008年12月24日 19:56
メリー・クリスマス、紫式部さん!

良いお話だったので、いろんな人にお分ちしようと思って書きました。
今日はイブですね。私は教会のクリスマスイブ礼拝から帰ってきたところです。

「あなたのように 心触れるものなし
 他に探し求めても あなただけ」

そんな賛美の歌詞が心に迫ってくる、イブの夜でした。

Posted by 飛田カオル at 2008年12月24日 21:33
キリストの思い上がりは、その後殺人集団キリスト教を生み出すことになったわけですね。結構キリストも近視なのかな。
Posted by at 2012年01月09日 23:10
名無しさん、こんにちは。キリストの思い上がりって、なんでしょうか?
Posted by 飛田カオル at 2012年01月10日 07:12
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